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広貫堂
広貫堂の始まり
広貫堂の始まり
明治9年(1876)、配置薬の保護・統制機関だった、旧富山藩の「反魂丹役所」を引き継ぎ、売薬さんたちの共同出資によって設立された製薬会社が広貫堂です。「医療の仁恵に浴せざる散村僻地にまで広く救済の志を貫通せよ」との正甫公の訓示から広貫堂の社名が決まったと伝えられています。
広貫堂は、越中売薬の伝統を受け継ぐだけではなく、時代の変化に対応して新たな活路を切り開いてきました。そもそも富山の売薬は、他藩での経済活動が認められていなかった時代に困難を乗り越えて新しい事業にチャレンジしたことに始まっています。
広貫堂が設立された明治初期、急激な西洋化の波が押し寄せたとき、西洋の製法も取り入れて品質向上を図ることによって、売薬業の将来の危機を脱し、更に消費者の信頼を得ていきました。また、人材の育成にも力を入れ、わが国初の薬剤師養成学校である共立薬学校(現・富山大学薬学部の前身)を創立するなど、教育面でも多大な貢献をしました。
時代のニーズに合わせて変革し続けることによって、新たな伝統が作られていくのです。