株式会社広貫堂

広貫堂の歩み
 
1690 元禄3年 全国に広まった富山の反魂丹

江戸城内で、突然激しい腹痛に見舞われた三春藩(現在の福島県)の藩主に、富山藩二代藩主・前田正甫公が常備していた反魂丹を与えたところ、たちまち痛みはおさまりました。この事件をきっかけに、諸藩の大名の知るところとなり、富山のくすりが評判を呼ぶようになります。済世救民の志が強かった正甫公は、薬御用達松井屋源右衛門に製薬を命じ、反魂丹をはじめとする富山のくすりを他の藩へ販売します。

前田正甫公

前田正甫公

富山藩祖、前田利次公の次男として誕生した正甫公は、延宝2年(1674)に二代富山藩主となる。仁慈の心に厚く、自ら医薬の研究に励み、薬の調製を行うなど、領民救済にあたったといわれています。ある時、正甫公が腹痛に襲われたとき、備前岡山藩の医師・万代常閑がつくった「反魂丹」を飲んだところ、たちまち痛みが収まり、以来、常備薬とします。後に、富山藩を訪れた万代常閑に製法を学び、領内でも反魂丹の薬効が広まっていくこととなりました。

1765 明和2年 富山から全国へ 売薬業の基盤となった反魂丹役所

「用を先にし利を後にし、医療の仁恵に浴せざる寒村僻地にまで広く救療の志を貫通せよ」という正甫公の理念は、現代まで受け継がれ、富山の売薬業の基本理念となっています。
富山のくすりが全国に広まるに従い、富山藩は、配置員の保護と育成にも力を注ぎます。明和2年(1765)、六代藩主・利與(としとも)公が反魂丹役所を設立し、配置員の身分証明、製薬の指導、懸場帳の整備など行い、富山の売薬業の発展に努めました。

前田正甫公直筆扁額

 
先用後利

先に薬を預けておいて、後から利用した分だけの代金をいただき、新しい薬を補充するという「先用後利」は、「用を先にし利を後に」という正甫公の理念が反映されたビジネスモデルで、富山のくすりならではの販売手法。薬の効能と相まって、富山の配置薬は全国に販路を広げていきます。全国のお得意先に納められた配置薬は、富山のくすりの代名詞ともいえます。

懸場帳 懸場帳

薬の販売データは「懸場帳」と呼ばれる帳面に記載されました。配置員が配置先にあずけた薬の種類、数、服用高はもちろん、お得意先の家族構成や健康状態などさまざまな情報が書き込まれた、いわば江戸時代の顧客データベース。お得意先の情報満載の懸場帳は、それだけで貴重な財産価値をもつほどになったといわれています。

1876 明治9年 済世救民を志とし広貫堂が設立。

明治初年には、富山藩は100種を超える薬を取り扱っていましたが、廃藩置県により反魂丹役所がなくなり、大きな転換期を迎えます。新政府は、国内の医薬業界を国家統制のもとにおくため、売薬規制法を制定し、漢方売薬を廃止に追い込みます。富山売薬の最大の危機を乗り越えるため、売薬業者たちは、それぞれの資金と知識をあわせて、「売薬結社広貫堂」を発足させます。

「広貫堂」の由来

「広貫堂」という社名は、前田正甫公の「広く救療の志を貫通せよ」の訓示に由来すると伝えられています。
また、広貫堂のマークである「ふくら雀」は、旧富山藩反魂丹役所にちなんでつくられたものです。日々の健康のため、なくてはならない家庭用配置薬が、日本全国に羽ばたく雀のようにすみずみまでおし広げられるようにとの願いが込められています。

創業当時のくすり

胃腸薬の「反魂丹」「熊膽圓」「熊胆丸」、五疳薬の「奇應丸(六神丸の前身)」「感應丸」、止瀉薬の「如神丸(赤玉はら薬の前身)」など10品の免許鑑札が下り、製薬・販売が行われます。

反魂丹
實母散
如神丸
熊膽圓
1894 明治27年 薬業発展と近代化を促す薬学校の設立

従来の和漢薬、売薬業が規制を受けるなか、広貫堂をはじめとする売薬業者は、売薬の発展、近代化を目指し、専門知識をもつ人材の育成に力を注ぎます。
明治27年(1894)、薬業教育と配置員養成を目的とした、私立共立薬学校を設立します。同校は、明治31年(1898)に私立富山薬業学校に昇格、その後、県立化を経て、大正9年(1920)に官立に移管、昭和24年(1949)には国立富山大学薬学部として、富山の薬学の最高学府に受け継がれていきます。
その後も広貫堂は、社員の知識・教養を高めることを目的とした広貫堂薬学青年学校を昭和14年(1939)に設立、さらに昭和30年(1955)には広貫堂薬学院を設立するなど、積極的に人材育成の環境づくりを進めました。

私立共立薬学校と授業風景

1914 大正3年 近代売薬業の礎となる「売薬法」制定と株式会社の誕生

第14代富山藩主
前田利男氏直筆看板

明治以降、医学の西洋化を推し進めてきた政府により、和漢薬は「無効無害」のものとされ、売薬業を規制する動きが顕著になります。その度に売薬業者は変革の波にさらされますが、製品の改善、薬学校の設立などを通して近代化の道を歩みはじめます。厳しい規制のなかであっても、富山の売薬業は、着実に成長を続け、海外まで販路を広げます。また、銀行や電力会社の設立にも大きな貢献を果たしました。
このような動きに対し、政府も「無効無害」から「有効無害」へと主義を変え、大正3年(1914)売薬法を制定し、製薬における薬剤師の関与を義務づけ、過当な宣伝広告を禁止しました。同年、さらなる発展を目指して、広貫堂は株式会社として新たなスタートを切ります。また、売薬業者にとって重圧だった「売薬印紙税」も大正15年(1926)に廃止され、売薬業は新たな進展を見せます。

関連年表

明治11年(1878) 富山第百二十三国立銀行(北陸銀行の前身)設立
明治16年(1883) 太政官布告により、富山県が設置される
明治27年(1894) 日清戦争
明治30年(1897) 富山電燈会社(北陸電力の前身)設立
明治35年(1902) 富山売薬信用組合(富山信用金庫の前身)設立
明治37年(1904) 日露戦争
大正2年(1913) 北陸本線全線開通
大正3年(1914) 第一次世界大戦
広貫堂音頭 広貫堂映画

広貫堂音頭と広貫堂映画

時代を先取りした広報活動

広貫堂は創業以来、積極的に広報・PR活動に取り組んでいます。
自社制作のPR映画や広貫堂音頭、絵葉書、パンフレットなどさまざまなメディアで展開し、多くの人々に親しまれてきました。

1912-1989 大正〜昭和 天皇・皇后ご来臨 栄誉の歴史

広貫堂は、大正天皇、昭和天皇、上皇・上皇后両陛下をはじめ、多くの皇族の方を本社工場にお迎えしています。
たいへん栄誉なこととして、広貫堂の歴史に刻まれています。

昭和44年(1969) 昭和天皇・皇太后両陛下

昭和36年(1961) 上皇・上皇后両陛下の行幸

献上品

1989〜 平成〜 最新GMP適合3工場体制で医療用医薬品の受託製造を拡大

平成8年(1996)新GMPに対応した本社工場が完成し、医療用医薬品の受託製造を開始します。
平成15年(2003)には、液剤の高速製造ラインを導入した滑川工場が完成し、液剤の一般用医薬品の大量生産体制が整います。そして、平成22年(2010)に医療用医薬品の大量生産が可能な高速無人自動ラインを導入した呉羽工場が完成し、3工場体制の充実した生産基盤が構築されます。

生産体制

1960年頃 この頃から配置薬以外の医薬品製造を開始
平成8年(1996)11月 新GMP工場竣工
平成15年(2003)9月 滑川工場を新設
平成18年(2006)8月 ISO9001-2000認証取得
平成21年(2009)8月 ISO9001-2008認証取得
平成22年(2010)4月 呉羽工場新設
平成28年(2016)10月 ISO9001-2015認証取得

「救療の志」を世界へ広貫堂のチャレンジ
広貫堂のチャレンジ精神

越中売薬が始まってから約300年、広貫堂の設立から140余年。その伝統は過去のものを継承することだけで作られたのではありません。
そもそも富山の売薬は、他藩での経済活動が認められていなかった時代に困難を乗り越えて新しい事業にチャレンジしたことに始まっています。広貫堂が設立された明治初期、急激な西洋化の波が押し寄せ、売薬業の将来は危ぶまれていましたが、西洋の製法も取り入れ、品質向上を図ることによって、更に消費者の信頼を得ていきました。 その後も広貫堂は時代の変化に対応して新たな活路を切り開いてきました。時代のニーズに合わせて変革しつづけることによって企業は存続し、新たな伝統が作られていくのです。

よりよい製品を生みだす「ものづくり」の精神

広貫堂は、変革の流れの中でも、社名の由来である「広く救療の志を貫通せよ」の教えを忘れることなく、「先用後利」に代表される消費者の側に立ったくすりづくりを続けてきました。
今日では、配置用医薬品、一般用医薬品のみならず医療用医薬品にも幅広く対応し、国際的な品質管理の基準に適合した生産体制を構築しています。
すぐれたものを伝統として生かし、なおかつ新しいものを探索していく姿勢はこれからも変わりません。広貫堂が140余年にわたって培ってきた生薬に関するノウハウと、より高品質な製品をつくる「ものづくり」の精神は、予防医療の重要性が増すなかで、さまざまなくすりの開発に生かされています。

スペシャリティファーマとして

広貫堂は、剤形としては錠剤、丸剤、液剤に強みを持つ製剤メーカーであり、カテゴリーでは漢方・生薬製剤に関する知識と技術を持つスペシャリティファーマでもあります。医薬品メーカーとして、さらに差別化を図るため、特殊剤形や特殊製剤技術(DDS)の研究開発を推進し、国際的な評価を高めたいと考えています。そのために広く内外に情報を収集し、自社のみならず他社や大学等との共同開発や技術提携も行い、特殊製剤技術の高度化を図っています。

※スペシャリティファーマ:製造する医薬品の剤形や効能に特化した製薬企業。

世界へ届ける「救療の志」

世界基準への適合やISO認証取得で信頼性を高め、最新鋭の設備と工場で、よりクリーン化・オートメーション化を進めて、広貫堂のくすりをご愛用いただいている皆様、お取引先さまに、高品質で安全な医薬品をお届けできますよう、日々これからも努めてまいります。
また、より広く「救療の志」を貫くために、日本のみならず、ヨーロッパ、中東、アジアなど世界を視野に入れて、広貫堂は着実に、そして果敢に行動していきます。

グローバル展開